なぜ写真を撮るのだろう?

 

 

ありがとうの言葉を伝えたい時に

 

嬉しかったこと、頑張って来たこと

伝えたい時に

 

今ここに私が存在していることの感謝の言葉を

伝えたい時に

 

あなたはいない。

 

 

 

私はなぜ写真を撮っているのだろうと考えることがあります。

 

 

いつ、誰かに見せるための写真を取ることを

やめてもいいのじゃないかと思うことがあります。

 

 

でも、傍にカメラがなかったらきっとそれは味気ない

生活になるのだと思う。

 

 

 

 

写真左:高校生時代の父。お小遣いを貯めて買ったカメラを持って(このカメラは今もあります)

真ん中:母と私。私の生後100日の頃

右:生後7ヶ月。祖父の家で父と母と。

 

 

 

 

父が他界して今年の春で3年になる。

 

 

私が小さかった頃のアルバムを開いて

父の、家族の時間を思います。

 

 

無くしてしまった時間を育てることはできないけれど、

 

 

記憶の片隅にあるものを

確かに存在していた大切な家族の時間を

思い巡らせることはできるから。

 

 

 

だからやっぱり、私は誰かの大切な家族の時間を

写真に残したいのだと思うのです。

 

 

 

2019年3月6日 父の誕生日に。

 

 

 

元気だった頃の父と愛猫のクロリン